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【オリックス】宗佑磨はどこのハーフ?兄妹や家族についてやプロフィールも紹介

【オリックス】宗佑磨はどこのハーフ?兄妹や家族についてやプロフィールも紹介

オリックスバファローズを牽引する野手である宗佑磨選手。ハーフだとする噂が見られますが、本当でしょうか。

今回は宗佑磨選手のプロフィールや家族について紹介します。

目次

宗佑磨のプロフィール

  • 名前:宗佑磨(むねゆうま)
  • 生年月日:1996年6月7日
  • 年齢:28歳(2024年現在)
  • 出身地:東京都武蔵野市

2021年から2023年のチーム三連覇の間、三年連続で三塁手のゴールデングラブ賞を受賞した宗佑磨選手。2018年に外野手として74試合出場した他、一軍の試合で一塁手や遊撃手を守った経験もあるなどユーティリティ性も持つ、高い身体能力を誇る選手です。50mのタイムは手動計測で最速5秒8、投手として最速141キロも記録したことがあるようです。

性格はマイペースで内向的、過去には闘争心がなく泣き虫だったという証言もあります。ただ、それ以上に愛されキャラで、いつも自分のことよりも他人のことを優先するというタイプなんですって。

宗佑磨の家族は?

宗佑磨選手は東京都武蔵野市で、ギニア人のお父さんと日本人のお母さんの間に生まれました。つまりオリックスの宗佑磨選手はギニア人と日本人のハーフということになります。

宗佑磨選手のお母さんはミカさんという方で、年齢は2024年現在61歳前後。20代の頃にアフリカの太鼓音楽に魅了されてセネガルに渡り、そこでギニア人国立バレエダンサーと結婚、何度か日本とアフリカを行き来した後、最終的に日本に帰国しました。1996年、宗佑磨選手が生まれた時点では既に日本にいたのですね。

両親は1997年に離婚

しかし宗佑磨選手のお母さんは1997年に旦那さんと離婚、宗佑磨選手が僅か一歳の時にお父さんはいなくなってしまったのです。お母さんは派遣先の保険会社や食品会社に勤務しながら自然療法のアロマセラピーの資格取得を目指し、実家の大阪で両親の手を借りながら育児と仕事と資格取得の勉強に励みました。専門学校卒業後に整体師やセラピストとしての活動を本格的に開始。当然つらい時期もあったものの、宗佑磨選手の存在がお母さんを奮い立たせてくれたそうです。

女手一つで育ててくれた母親への感謝

父も兄弟もいない宗佑磨選手ですが、お母さんが父親や兄弟のような存在にもなってくれたのだとか。口喧嘩などは多かったようですが、当然宗佑磨選手にとってお母さんの存在は大きく、感謝してもしきれないような存在です。プロ入りを果たした際、宗佑磨選手は「お母さんはいつも自分を守り、つらいときでも笑わせてくれた」「これからは、自分がプロで頑張ってお母さんを喜ばせたい」と決意を新たにしています。

オリ2位・宗佑磨の母親が語る「育児と仕事と勉強の16年」|野球|日刊ゲンダイDIGITAL

宗佑磨の経歴

ここからは宗佑磨選手の経歴について紹介します。

横浜隼人高校からプロ入り

最初はサッカーをしていたという宗佑磨選手ですが、小学三年生の時に転居した際、学校にサッカークラブが無かったことなどから軟式野球を開始。横浜隼人高校では甲子園出場こそなかったものの在学中に対外試合で通算26本塁打、打率.452を記録しました。

2014年10月のドラフト会議でオリックスバファローズから内野手として2位指名を受け、高卒からプロ野球の道へ進みました。背番号は6、強い期待を受けて入団したことが分かります。

チームの三連覇と共に主力に成長

2016年に一軍初出場を果たし、2018年に外野手として開幕スタメンからレギュラー定着を掴みかけた宗佑磨選手。しかし同年の出場試合数は最終的に74試合に留まると、その後二年間は2018年の出場試合数を上回る事ができませんでした。

2021年シーズンは主に三塁手として出場、同年に完全にレギュラーを掴み、自身初の規定打席到達、ベストナインとゴールデングラブ賞も受賞しました。同年にチームはオリックスバファローズとして初のリーグ優勝、2022年と2023年もチームは優勝し、宗佑磨選手も正三塁手として活躍しました。

最後に

今回は宗佑磨選手の家族などについて紹介しました。2024年は苦しいシーズンを送った宗佑磨選手。オリックスバファローズの再起にはこの選手の復活が欠かせません。

その他のエンタメ情報は、karisomeもあわせてお読みください。

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